旅中止。緊急帰国。

アメリカ

ロックダウンの危機

3/17 Salt Lake City (走行距離:0km)

 さてさて本来であれば今日からまた毎日仕事の予定であったが、コロナの影響で仕事が無くなってしまった。発表された内容だと30日間は仕事はない状態になるわけだが、30日後にまた通常通り仕事ができるとも限らない。そんな中、職場の仲間も混乱していたが、朝一に仲間から連絡が来た。

「仕事も無くなってしまったし、コロナもあって街中も出歩けないから、誰も居ないアンテロープアイランド州立公園でハイキングして、夜はそこで焚火しながらゆっくりしようよ」と。仕事も何も無くなってしまったみんなの今後のことも気になっていたし、ちょっとしたリフレッシュには良いかと思った。そこで、夜まで外出することをホストマザーに伝えたが、「感染のリスクがある中、外出を自粛する動きも出ているのに、外に出るのは良くないのでは。」と言われた。御もっともの回答だった。職場の仲間も感染していないとはいえないし、自分がホストファミリーにウイルスを持ち込んでしまったらとんでもないことになる。。。浅はかだったな、と思って誘いをお断りし、家にステイすることにした。そして、先日予約していたレンタカー等のキャンセル作業が残っていたため続きを開始するのだった。

何度電話しても繋がらないため、スタッフとチャットすることに。
チャットを始めるのにも1時間程待たされ、ようやくレンタカーの保険パートの
キャンセル完了。。

3/18 Salt Lake City (走行距離:0km)

 朝起きるとミッキーの家族達とのグループメッセージに沢山メッセージが入っていた。コロナのことでバタついているのだろうか。後で目を通そうと思い、シリアルを食べているとミッキーの父親から電話がかかってきた。

 「メッセージ見たか?俺の予想では72時間以内にここもロックダウンになるぞ」とのことだった。あまりに唐突すぎてピンと来なかったのだが、落ち着いて話を聞いていると、昨日サンフランシスコでロックダウンが起きたことから、ソルトレイクシティも同様のことが近々起こりうるとの内容だった。昨日からレストランでの飲食が禁止になったことに始まり、この短期間で状況が刻々と変わっていく。今朝のニュースではメキシコとカナダの国境が封鎖されたことも発表された。

 「俺は60歳で、心臓病もやってるし、喘息も持っている。俺がコロナに感染したら死ぬ確率は高いだろう。ロックダウンになってしまうとミッキーやみんなも俺の家に来ることになるだろうが、みんなが感染していない確率も100%ではない。だから、もしもその様な状況になったら、俺はモーターホーム(特大の家のようなキャンピングカー)で14日間過ごし、みんなが感染していないことを確認してからみんなと合流する。あとは俺の家でみんなで過ごすなり、モーターホームで誰もいない大自然でビール飲みながら釣りでもして過ごす予定だ。ロックダウンがいつまで続くかわからないが、数ヶ月間は缶詰になる可能性あるしな。

 そんな中、お前には今2つ選択肢があるぞ。1つは今いる場所でロックダウン解除になるまで過ごすか、俺たちのところに来てこの期間を乗り越えるかのどちらかだ。一応、第3の選択肢として日本に帰る選択肢もあるが。。。ホストファミリーとも話してよく考えてみてくれ。ちなみにお前がここに来ても、俺たちはお前を重荷に感じたりしないし、むしろ楽しくなるから来て欲しい。前から言ってた通り、ここに住んでもらいたいくらいだからな。」

 電話を切るなり、いろんな事が想定され、とても不安になった。仮にロックダウンになったとすると、今いる家に残ろうがミッキーの実家に移動しようが、いずれの場合でもどちらかの家族に多大な負担をかけることになる。先も読めなく、いつまで続くかわからない中、物資の調達等も問題になるだろうし、まず家に1人多くいるだけで感染リスクも大きく変わるだろう。

 かと言って、今自転車旅を再開させるのは現実的ではない。予定ではそろそろ出発する時期に差しかかっていたが、まず怪我した手が回復しきっておらず、超重量の自転車を漕ぐことも、過酷なキャンプすることも難しいだろう。無理矢理出発したところで、今の状況、食糧の確保も困難だろうし、行く先々でもっと沢山の障害が出てくる。そもそもメキシコの国境が閉まってたら南下もできないし、すぐに開放されて入国出来たとしても、恐らく治安は悪化してるだろう。。。

 そうなるとミッキーの親父さんが言っていた通り、実質3択になる。だがこの段階で、自分の中では2択に絞れていた。今ステイしている家にはかれこれ半年以上滞在しており、これ以上の迷惑はとてもじゃないがかけられない。ここに残る選択肢は必然的に無くなっていた。

残りはミッキー宅に移動するか、日本に帰国するかのどちらかか。。。気付くとホストファミリーに話す前にすぐにパッキングを始めていた。

荷物の一部。
ユタ滞在期間でモノが増え、とんでもない量になっていた。うげ。。

 パッキングをしつつ、日本にいる親と相談したり、情報収集したり、ホストファミリーとも少し話してみたりとノンストップで動き出した。ニュースだけでなく、世界中に散らばる友人の生の声を聞いて、あらゆる可能性も考えてみた。ただアメリカって規制等、動き始めたら徹底的に動くし、行動が日本と違って早いから、考える時間に猶予もないだろう。いつ飛行機が止まるかも分からないし、国が封鎖になるかも分からない。今のところ、オリンピックは予定通り行う方針で発表されているし、経済的観点から考えても、長期間(半年〜1年間)封鎖されて閉じ込められる可能性は少ないと思うが、これらは全て予測の範囲であり、100%確実ではない。いくらステイして良いと言ってくれていても迷惑をかけることには変わらないし、そうなるとやはり帰国という選択肢しかないのか。

 考えにふけっていると、時間はあっという間に過ぎてしまった。日が沈んだ頃、帰国する決意が固まりつつあったため、早急に準備を進める必要がある旨、ミッキーに連絡した。しかし返ってきたのは「帰らないで」という答えだった。

 そこからミッキー経由で、私が帰国することを知った彼の家族それぞれから個別に連絡が入った。

「最終的な選択権はあなたにあるけど、それでもやっぱり帰らないで欲しい」

彼らは自分が何年も旅の準備をしていたことを知っていたからか、また家族の様に思ってくれているからなのか、帰国の決断に対して沢山のメッセージを送ってきた。とてもありがたいことではあるが後ろ髪を引かれる思いになってしまい、せっかくの決断が少し揺らいでしまった。

3/19 Salt Lake City (走行距離:0km)

 昨晩も遅くまでずっとパソコンで調べごとをしており、気付いたら床でうたた寝していた。朝4時くらいに一旦目を覚ますと、寝ていられなくてまたしても調べごとを始めた。外務省の最新情報のチェックや、ニュースのチェックはもちろんのこと、コロナの医学的情報や、世界中で現在旅するチャリダーやバックパッカーのブログをチェックしたり、フライトの情報をネットだけでなく日本の航空業界で働く友人に直接電話で話して聞いたり。。。

 お昼頃になって荷物のコーディネイトも始めないといけなかったため、ミッキーに協力してもらい、自転車を入れる箱や輸送に使う物資の確保、そして自転車の分解等を始めた。(自転車は置いてくることも可能であったが、もし万が一旅を再開することになると、日本でカスタマイズした方が効率的だと思ったのだ。再開できるか分からないが。。。)

自転車を入れる箱をもらいに自転車屋に行ったが、商品のピックアップ以外
営業はしていなかった。たまたまスタッフがいたため箱を頂戴することができた。

 ここ最近ずっと家に籠もっていたからか、久々にミッキーに会った気がした。彼も今は在宅勤務になっており、家から全く出ていない状態らしい。彼にはこの場でも

「しつこく言い過ぎなのは分かっているが、もし気持ちが変わって、残りたかったらいつでもお前の居場所はあるからな。本当は残って欲しいんだけど。。」と言われた。

メールでもミッキー両親が「モーターホーム今買ったぞ。
お前もここで生活するんだ」なんて写真付きのメッセージが届いた。
遅かれ早かれ元々購入するつもりだったらしいが、行動早過ぎ。。

 こんなに言ってくれる人がいるって本当にありがたいし、幸せ者だなと改めて感じた。自分の人生は本当に人に恵まれていると思う。

 家に戻って自転車の解体作業と、パッキングの最終段階に入った。飛行機が運行しなくなってしまうかもしれない状況の中、フライトチケットを先に押さえるべきだったが、ミッキー達の強い言葉の影響で、正直少しだけ迷いが生じていた。また日本の家に帰ってもそれはそれで家の事情があり、帰らない方が良いのではと考えさせらることも多々あったのだ。

はぁ。。。もう考えすぎて疲れた。これ以上考えたくない。

置いていくものと持ち帰るものの精査をしてパッキング。
パニアバックはレジャーシートとパッキング用のラップでグルグル巻きにして
一つにまとめた。(時間も無かったし別のチャリダーの知恵からこの方法を採用)

3/20 Salt Lake City (走行距離:0km)

 またしても床でうたた寝して、早朝に目を覚ます。起きると同時にまた考え事して、情報収集して、の連続が始まった。ミッキーから『もう1、2週間様子見するのも一つの手なのではないか』と悩まされるメッセージが入っていたが、これ以上長く悩んだところで時間の無駄になるだけだと結論づける。結局、実家の状況の最終確認してから昼過ぎにフライトチケットを押さえることにした。フライトは減便されていたが、明日の朝6:50発のフライトを取ることができた。

 置いていく荷物をミッキーに引き取ってもらう必要もあったし、急な持ち込みに、航空会社から自転車持ち込みを拒否されることも想定して、今晩はミッキー宅に泊まって、明朝、彼に空港まで送ってもらうことにした。(もし自転車受け取りを拒否されてもそのままミッキーが引き取ることができるからだ。)

 ようやく手筈が整ったため、ホストファミリーにも状況を説明した上で、荷物の整理と部屋の最終的な掃除を完了させ、ミッキーが迎えに来るのを待った。

 こんな急展開で何もすることができなかったが、本当にホストファミリーにはお世話になった。留学時代から様々なことでお世話になっていたが、今回滞在させてもらったことに関しては特に頭が上がらない。留学や仕事など、きちんとした目的で来ていた訳でもなく、ただただ自分の都合だけで家に置かせてもらうなんて普通じゃあり得ないだろう。滞在の理由が理由であったため、彼らの生活が今までとなるべく変わらない様に、そしてなるべく出来ることはしようと心がけたつもりだったが、結局は迷惑ばかりかけてしまう結果になってしまった。恐らくストレスも相当溜まっていただろうし、非常に申し訳ない気持ちが大きかったが、それでも受け入れて面倒見てくれたことに大感謝である。

 夕方ミッキーが迎えに来てくれたため、荷物を車に積み込み、ホストファミリーに挨拶をした。本当にありがとうございました。そしてごめんなさい。。。

今朝は曇っていたが、夕方頃には晴れて山の景色が広がっていた。

 車に乗り込み、移動を開始するも、なんとなく複雑な思いでお互い黙ったままだった。ユタの山の景色を眺めながら、

「いやー、寂しいなー。死ぬ訳でもないし、2度と会えなくなる訳でもないけどさ、なんか色々な感情が込み上げて昨晩勝手に涙が出ちゃったよー。トランプが今すぐ国をシャットダウンしたらサヨナラしなくてもいいのにねー」

なんて冗談の様に話したら、ミッキーは

「俺がお前を迎えに行く前、ドリューも家で泣いてたよー。この際フライト見逃しちゃえよ」と返した。

 家に向かう途中、働いていたラーメン屋に立ち寄ってもらった。経済的にも冷え込んでいると思ったから少しの足しにでもなってほしいと思い、テイクアウトすることにしたのだ。店内での飲食は禁止のため、いつもなら活気あふれるお店も静けさに包まれていたが意外にもテイクアウトで数人が並んでいた。レジにマネージャーとホスト2人がおり、キッチンでは最低限のスタッフが働いている。

「久しぶり〜!日本に帰るんだってな。寂しくなるよ〜」お店に入るなり、マネジャーは笑顔で話しかけてきた。オーナーには昨晩、帰国する旨伝えてあったが、既にマネージャーも知っていた。

「本当はみんなにも挨拶したかったんだけど、急遽決まってしまって。本当にお世話になったし、みんなと一緒に働けて楽しかった。ありがとう!」

そう言って、最後のラーメンをオーダーした。今思うとソルトレイクシティにいる間、ほとんどの時間をこのラーメン屋で過ごしおり、いつの間にか思い入れのある場所となっていたが、今日で最後になると思うとちょっぴり寂しかった。

マネージャーとホストと撮影。
仲良しのキッチンメンバーとも最後に撮影。

 ミッキー宅に着くと、ドリューが迎え入れてくれた。手洗いうがいをしっかりして、テイクアウトしたラーメンと一緒にビールをみんなで飲む。会って挨拶したかったミッキーの両親や弟、またいつも一緒につるんでいた仲間とテレビ電話で少し話し、彼らとの最後の夜をゆっくり過ごした。

別れ

3/21 Salt Lake City (走行距離:0km)

 翌朝、4時前に起きて、出発の支度をする。ドリューに見送られながら、ミッキーと車に乗り込み、空港に向かった。

最後に撮影。みんな寝ぼけ眼でひどい顔。笑

 まだ早朝ということもあるけど、状況が状況だけに、なんだかいつも以上に町全体が静かな気がした。空港に着いてまずはチェックイン。時間があったらもっと細かく自転車を分解して小さい箱に入れることで追加料金もかからない様に出来たが、完全にサイズオーバー。もう一つの荷物も見事に重量オーバーで、相当の追加料金を取られてしまった。。まあ今はお金どうこう言ってる場合じゃないか。。無事荷物を預けることができたことを車で待機するミッキーに伝えに行くと、いよいよ本当のサヨナラだった。

「気をつけて帰れよ。また一緒に冒険行くの楽しみにしてるぜ」

強くハグしながら彼はそう言ってくれた。ハグした後ミッキーの顔を見ると、彼の目にはうっすら涙が浮かんでいた。それを見て私は

「おいおいおい。また会えるんだから泣くなよ〜」と言うも、もらい泣きしてしまいそうになった。

車に乗り込んだミッキーは最後にいつもの通り「Forever Brother!」と言った。自分も「Forever Brother!」と返して彼が車で去っていく姿を見届けた。

さて、あとは帰路で感染しない様に最新の注意を払って帰るのみ。まずはソルトレイクからサンフランシスコに行く便に搭乗だ。

早朝ということもあるが、やっぱりガラガラ。
サンフランシスコの乗り継ぎ場所。
誰も人おらん。

 サンフランシスコ空港には思ったよりは人がいたが、それでもやはり少なかったし、普段アメリカでは絶対に目にしない、マスクやゴム手袋を着用した人々が沢山いてちょっと不思議な光景であった。

羽田に向かう飛行機。ガラガラで快適だった。

3/22 Japan (走行距離:0km)

 ここ最近あまり寝ていなかったのだが、飛行機に乗っている間も、今後どうするか等、色々考え事をしてしまい、寝ることができなかった。(普段だったら飛行機でも車でもバスでも爆睡できるのだが笑)

 日本時間の日曜日午後2時頃、ついに羽田空港に到着した。いつもより、税関を通過するのもチェックが厳しいのかなと思ったが、何も変わらずあっさり終わってしまった。

開催できるかもわからない、オリンピックのポスターが
私を出迎えてくれた。

 日本の空港は思ったよりも人が多くてびっくりしたのが第一印象であった。また空港から外に出ても多くの人が出歩いており、レストランにも沢山人がいたためびっくりだった。最初は『話には聞いていたけど日本ゆるいな〜』くらいで思っていたが、実家近くの公園横を通過した時に、大勢の人が花見をしている光景を目にして『日本やばくないか?』と一気に不安になり、『アメリカにいた方が安全だったかな』とも考えてしまうのであった。

この光景には唖然としてしまうと同時になんだか怒りもこみ上げてきた。
日本人、危機感と責任感が無さすぎではないか?

3/23〜 Home (走行距離:0km)

 帰国してからは必要な買い出し以外は引きこもり状態である。私が帰国した時は14日間の待機命令等の規制は設けられていなかったが、それでも不安だし、今出来ることとしてセルフ自己隔離を行うことにしている。(東京は特に人も多いし、危機感ない人が出歩いてるから逆に外に出るの怖いし。)

 お金もそこまでは無いし、仕事も無いし、この先何をしようか。身を何度も投げ出したくなった地獄のサラリーマンライフだけには戻りたく無いし。。。まぁとりあえずホームレス生活(サバイバル生活)にはこの旅で慣れたから、健康であればなんとか生き抜くことは出来るでしょう。

 今思うと、旅を一時中断してソルトレイクシティに滞在していたことは、結果としてコロナ問題を中南米で抱えずに済んだ為、良かったのかもしれない。色々なものを犠牲にし、そして人並みならぬ覚悟も決めて出発した『自転車旅』であった為、不本意な帰国は非常に残念であったが、全てが終わってしまったわけでもない。個人的にはいつかまた旅を再開させたいという想いは強くあるが、果たしてどうなることかやら。。笑

最後に。。。

旅に出てから日々の記録をこのブログに記してきたが、帰国した今、一旦ブログもお休みしたいと思う。今はどうせ身動きできないし、久々の実家マイベッドでこれまでの一年を振り返りつつ、ゆっくり先のことを考えていきたいと思う。コロナ問題が一刻も早く終息します様に。

アラスカで嵐と雹に打たれた後の一枚。
困難があっても前を向いて生きますよ〜!

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